・はじめに
当記事には、人権問題等の社会的課題を共有していただきたいという意図があります。
・本文
あんまり生々しいことを綴るのもどうかと思っていたけど、書きたくなったので、書く。
ぼくは、家族に社会的に抹殺されている。そう感じてきた。それなのに、周囲の認識とのズレが大き過ぎて、屈辱に甘んじるしかなかった。(関連記事:「個人的な苦しみ」)
アダルトチルドレンの家系では、誰かひとりを犠牲にすることで、家族を維持するためバランスを取ろうとすることがあるらしい。ぼくの家もそうだった。ぼくが病気になって、両親はなおのことぼくの存在が見えなくなったように思うし、何につけてもぼくに勝てなかった姉は、水を得た魚のように活き活きとし始めた。相対的に家族の中に居場所を確保したのだと思う。病人の面倒を看る優しい家族を演じ、その妄想を家族間で共有(関連記事:「妄想共有能力」)、更にそれを外部にアピールすることで、孤立感を薄め自尊心を高めるという手法を確立した。少なくとも、ぼくにはそう見えた。勿論、当時は今ほどにも知識がなかったし、言葉にして説明することなんてできなかった。
近年、姉が所属していた劇団では、「生きていくには障害を持った家族が邪魔だった」というテーマのものを上演したらしい。実際観劇はしていないため、内容について詳しくは言及できない。ただ、「お前のせいで演劇を続けられなくなった」と叫んだ姉が音信不通になった後、その友人でもある主催者によって上演されたものだ。姉は出演していない。(因みに、障害者を持つ家族が苦しむのは、障害を持つ家族メンバーのせいではなく、障害者を受け容れられない日本の社会に問題がある。)
姉がいなくなったのは、両親と姉がぼくの虐待を認めた頃だった。「振り返ると、確かにお前の言う通り、小さい頃からのお前の訴えは一貫している。なぜお前の苦しみや訴えを理解できなかったんだろう…」というのが姉の感想だった。怒り狂ってはいたものの、ぼくは演劇をやめろとは言わなかったし、「これからは償う」と言ってくれたはずの姉。現在ではその劇団に籍も置いていないようだった。
姉は元々、短大生の頃だが、「弟が病気になってくれたお陰で演劇を続けられる」と喜んでいた。「弟が「あんなこと」になってしまった今、お前も好きなことをやりなさい」と、両親が姉に言ったからだそうだが、その理屈はよく分からない。
内と外があまりに違い過ぎた両親は置いておいて、姉に対しては正直、複雑な気持ちがある。姉も不安定な状態で育ったはずだし、その中でも、小さい頃はぼくの面倒をよく看てくれたから。
「待望の男の子」という、今思えばひたすらにくだらない価値観によって、祖父母はぼくをいつも手元においた。父を奴隷のように扱ってきたという彼らは、今度はぼくをペットのように甘やかし、不都合があると母に押し付けたらしい。そのため、両親に育てられた姉の方が随分安定していたようだった。実際、ぼくの面倒は大方姉が看てくれた記憶がある。だから姉が好きだったし、姉の好きなものを好きになって育った。
一方姉は、ぼくの面倒を看ながらも、「あんたのために私がどれだけ我慢してると思ってんのよ…!」というのが口癖だった。その頃は知らなかったが、それは姉の好きな漫画の台詞でもあったらしい。ぼくから見ると、姉も随分不条理なところがあったと思うが、それでもその言い分に間違いはなかったと思う。そもそも、姉にはぼくを育てる義務なんかなかったのだから、姉からしてみたら弟を全面否定したい気持ちくらい湧いただろう。その上、生意気な弟は勉強も運動もできて、学校の成績では歯が立たない。
だから、多分、これは姉を見てきたぼくの想像だけれど、ぼくが心を病んで何もできなくなったとき、姉は心の底では嬉しくてたまらなかったんじゃないかと思う。ぼくが何もできないで苦しむのを尻目に、姉は母の前で授業のことや友達のこと、趣味のことを喜々として話すようになった。弟のお陰で就職も免れ、自分の好きな道に進むことまで叶った。だから、弟が治っては困る、だから、弟の訴えの意味に気付くわけにはいかない、だから、姉には「たすけて」が届かなかった。そして両親も同様に、気付いてしまっては困る理由があったはずだ。気付けば自身らの子育てや生活スタイル、生き方を変えなければいけない、せっかく「あのできの悪い息子が…」と言い合うことで結束し、家族のバランスも保てているのに、「たすけて」を受け容れてしまったら、それらが全て水泡に帰してしまう。ただ、もしそれが世間に知れたら自分たちの立場が危うい、それなら、息子を社会的に抹殺すればいい…
少なくとも、ぼくの目にはそのように映っていた。だからおそらく、姉は現実から目を逸らせなくなった時、過去を振り返って「弟は一貫して同じことを言っていたのに、何も難しいことを言ってなかったのに、なんで自分には理解できなかったんだろう」といった感想を述べるほかなかった。そしてそれを本当には受け容れられなかった姉は、鬱になり、家族と縁を切り、結婚しても芸名に使用していた旧姓をそこから削除して、しばらくは演劇をして過ごした。SNS上からも完全に見失ったため、今どうしているかぼくには分からないが、姉のことを思うと、色んな意味で苦しくなる。家族の誰よりも信頼していたのだと思う。姉も、自ら傷付けたぼくの社会的な名誉の回復には協力しなかった。確かに姉だって被害者のはずだし、それはおそらく両親にも同じことがいえる。でもどうしても許すことができない(関連記事:「思考と感情は別物」)。それにぼくと姉の立場が違っていたら、姉に汚名を被せたまま、ぼくが逃げる立場にあったはずだ。誰かの遺伝子をもってその人と同じ環境で育てば、必ずその「誰か」は自分のはずだから。
そんな苦しみを些細なこと、甘えだという人もいるけど、そんな些細なことが蓄積し踏み固められた生活の中で、ぼくはみっともなくのたうち回ってきた。その姿を指さされ「きちがい、親不孝者」と罵られ、今も理解されることは少ないが、それでも、やっぱり悲しかった。
主な参考文献
・自分探しイズム(2021)『アダルトチルドレンの生き方 劣等感が消え自分を好きになる本』kindle direct publishing
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