人気があることと、いじめにあうことは、似てる。

②けいけん(考え)
画像出典: BiancaVanDijk
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人気があることと、いじめにあうこと、この2つは対極のように見えて、すごくよく似てる。全てではないだろうけど、殆どのケースで当て嵌まるだろうと思う。

人はその人をいいと思うから好きになる場合もあるけど、皆がいいと言ってるから好きになるケースの方が多いのではないか。そこに得るものは、安心感や仲間意識。恋愛でもそう。恋人が欲しいなら恋人の存在をほのめかせ、なんて露骨過ぎるだろ…「この商品はここが素晴らしい!」ではなく、「あの人も使ってます!」という煽り文句にこころが動くのも悲しい。いじめも同様で、自分がその子を嫌いだからではなく、皆がいじめてるから、一緒にいじめて安心感や仲間意識を高める。これらは人間の持つ「妄想共有能力」に依るものだ。つまり、人気がある人といじめられている人の価値がどうこうの話ではなく、その対象者を共有することが他者と繋がる行為であり、価値があるわけだ。

たとえば、個性的なタレントは、今はカリスマでも昔いじめられてました、ということがある。アイドルでもよく聞く。これは当時と今で、見た目や人間性が大きく変わったのだろうかといえば、おそらくそうではない。そのコミュニティにおいての共有のされ方の違いでしかなかったのではないか。「みんなと違うこと」が共有対象にされやすいのだろう。

ぼく自身、37歳で高校生になり、「みんなと違う状態」になった。そうすると、各コミュニティ(グループ)から、好かれるか、嫌われるかの両極端な状況に陥ることが多かった。そのコミュニティから好かれてる場合、所属メンバーは初対面でも、どんな言動も大抵好意的に受け取ってくれる。一方で嫌われている場合、その人とは初対面のはずなのに、何を言っても馬鹿にされ、信じてもらえなかったりする。

昔、誰かがこんなことを言っていた。「周りに100人居れば、あなたがどんな風に振舞っても、10人くらいは必ずあなたを好いてくれる。けれど反対に、10人くらいは必ずあなたを嫌ってくる。そして、後の80人はあなたのことなんかどうでもいい。これが普通。だから、10人に嫌われても何にも気にしなくていいからね。それよりも、もしこのバランスが狂っている時は、何かがおかしい状態だと考えた方がいい。」今こそ、なるほどな、と思う。

信頼とは、普段の行動から勝ち得るもの、子どものときはそう考えていた。けれど、その限りではない、というか、そういうケースの方がどうやら少ないらしいぞ、と思うようになってきた。行動によって信頼を得ると、地位を得やすい。地位があると、他者とその価値を共有してもらいやすいだけなのだと思う。

色んなことに気付けば気付くほど、生きづらくなってしまう部分もあるけど、この能力に関しては皆がメタ認知してコントロールできるようになれば、おそろしいほど社会は変わるだろうと思う、いい方に。大抵の社会問題は簡単に正せる。選挙とか、家庭とか職場とか、分かりやすく一変しそうだ。
「困ってる人は自己責任」「障害者は役に立たない」「選挙に行くなら自民党」「とりあえずビール」ひとまずはこのあたりから…

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