「人間は敵だ」潜在意識の書き換え、何故難しい?(ドラクエ11 ネタバレ注意)

③奮闘記
画像出典: Mohamed_hassan
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人が怖い。メタいことをいえば、ぼくは脳が「人間は皆敵だ」と学習してしまっている状態。かといって人間にとっての孤立は死の恐怖だから、どちらにしても安全・安心感がない。それを改善するため、自分が優しい母親代わりになって関わりを変えてあげることで、本来の自分自身を育て直す(構築し直す)、ということをやっている。心理学的にいうなら、超自我的な役割を能動的に変化させることで、イドの変化も狙う、という感じになるのかしら。

数年前と比べると、随分よくなった。
まず、朝起きた時、以前は汗で全身びちょびちょだったから二度寝とか考えられなかったけど、今は汗かいても寝間着が湿ってる程度。
同様に、過緊張で筋トレしなくても筋肉が異常なほど維持されてたけど、力が抜けて体が楽になったし、筋肉も普通に落ちてくようになった(筋トレしなきゃいけなくはなったが…)。そう!話ちょっと逸れるけど、高校に入学して最初の体力テストで、50メートル7秒台だったし、握力も両手共50以上あった。当時37歳、家でひとり、十年以上苦しみ続けてただけなのに!
勿論、精神的な面でも、昔のネガティブな出来事が脳内リピートされている時間が減り、前よりも楽しいとか、嬉しいという感情を感じることができるようになったと思う。
こうでなきゃいけないという思い込みに対しても声を掛けているので、自身の非生産的な時間を、ある程度まで肯定できるようになった。

とはいうものの、当然落ち込みの激しい日もあるし、まだまだ時間は掛かるだろうな、とも実感している。どれだけ自分で自分に優しくしても、日本ではそういう人間を許容できる人の方が少ないからだ。教育や福祉に携わる方でさえ、科学的な視点を欠き、日本の精神論に倣って自己責任だと見下し、差別する人が本当に多い。救うための仕組みもない(関連記事:「日本の支援(福祉)が機能しない訳」)。そうすると、どれだけ自分で学び、育て直しをしようとしても、外に出る度に、「人間は敵だ」と思い知らされて帰ってくることになる。(この風土が、日本の教育自体を機能させにくくしているから、日本のひきこもり数や自殺数は異常な数を示すことになる)

以前、ドラゴンクエスト11を遊んだんだけど、そこに日本をモデルにしてるだろうホムラの里とナギムナー村という場所があって、そこで起こるエピソードに、「ああー…、正に日本って感じだな」って思った記憶がある。
まず、ホムラの里では、テバとサキという双子のお母さんが、里のためと、権力者に生贄にされそうになる。ナギムナー村では、キナイという青年のじいちゃんが、危険人物だとされて村のはずれの小屋に、死ぬまで軟禁され続けていた。
コミュニティー全体が問題を共有して、論理的に理解し、解決しようとすれば、どちらも生贄や軟禁を必要としなかったのに自らの無知や偏見を疑いもせず、誰かに責任を負わせ、犠牲にすることで、マジョリティーの平穏を保とうとする。なんとも、日本っぽい。敵は常にコミュニティー内にいるマジョリティー(数に限定されない)、人間なのだ。後者に関しては、閉鎖病棟という場所で、今も日本全体が公にやっていることそのままだ。
シナリオの堀井雄二氏がどこまでそれを意識されてやっておられるかは分からないが、その風刺とも呼べないストーリーを前に、これを日本の社会問題だと理解できる人がどれだけいるかといえば、殆どいなかったと思う。
ある大学教授が、「日本人が、障害者の人権を考えられるようになるまで、あと20年はかかるだろうな…」とおっしゃられ、実際に障害を持つお子さんのある職員さんは、「20年で何とかなるといいけどな…」と呟かれたが、自身の経験上としても何もフォローできなかった。勿論障害者に関してだけじゃない、ホームレスや、入国管理局の人権問題、冤罪事件など、マジョリティーはニュースでやってても関心がない、自分が平和だから、日本を平和な国だと思い込む。(ニュースを観て面接に備えろという癖に、なぜそういうニュースに限って、面接担当官や大学教授ですら知らないのか。流れてるのに!)悲惨な出来事からは、「自業自得だ」、「自己責任だ」と言い聞かせて目を逸らす、自分の所有物は全て自分の努力によって築いたのだと。日本には行政から独立した国内人権機関が存在しないため、あらゆる機関は力を持っていない。だから国民が目を逸らせば、その人たちはこれからも見捨てられるしかない。

前に、シニアカーに乗ったひとりのおじいちゃんが交差点で立ち往生していた。荷物をぶちまけちゃって、でも自分で降りられないみたいで、困ってた。その車線だけ渋滞になってるのに、誰一人助けようとする人はいない。勿論急いで助けに向かったが、これがかわいい子どもや若い女性だったら、皆こぞって助けに行くくせになって、心で毒付いた。肌の色の話をして申し訳ないが、白人の日本人に対する印象と、黒人や「日本人以外の黄色人種等」の日本人に対する印象が違うのも当然なのだ。
高校通ってる時、ある先生が「昨日テレビで、女性がバッグひったくられてるのに、誰も助けようとしないのやってて、日本人ってこんななの!?ってショックだった…」と言うので、ぼくはきょとんとして、「そうだよ?」と返したことがある。絶句した先生は、暫く固まった後、「そうか、あなたはそういう人生を送ってきたんだったね…」と溜息を吐かれたが、これは自分がたまたまそういう家庭に生まれずにすみ、そういう立場に追い込まれたことがないから知らずに過ごせているだけで、日本は、本当にそういう国だと思う。だから、公立の中学校とかまでなら同じ空間で過ごしているんだけど、それらの現実を知ってる子どもと、知らない子どもが存在している。そして知らない子どもの方が、適切に社会に適応していけるという皮肉。理科助手として来られていた若い女性が、定時制の生徒の家庭環境や学力、精神状態を知り、人生観変わったと仰っていたが、それに気付ける人の方が少ない。

だから、「人間は皆味方」が事実かはさておき、大人になって一人で潜在意識の書き換えをするのは、結構、大変なのです。

主な参考文献
・「ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて S」(2017)SQUARE ENIX PlayStation 4

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