全ての表現は必ず誰かを傷付けている。

②けいけん(考え)
画像出典: beasternchen
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1. 言葉の正当性?正義?正しさ?

はじめに、人を傷つけない表現はない、と考えている。それが事実であるかどうかも関係ない。誰の、どんな言葉でも、必ず誰かを傷付けてしまう。たとえば「お母さん」という単語ひとつを取っても、もしそれを受け取るのが、お母さんのいない子どもだったら?もし、お母さんから虐待にあってきた人だったら?NHKの人気番組に「おかあさんといっしょ」があるが、多くの人はそれを「あたたかい」と感じるだろうその一方で、前述した方たちは一体どんな気持ちで、その表現を受け取っているだろうか。ただ、だからそれらの表現や番組が悪い、という意味ではない。現実的に考えて、人間社会から表現を取り除くことはできないし、おそらくどれだけ配慮をしても、何某かのそれによって傷付く人をゼロにはできない。開き直るつもりで言うのではなく、ぼく自身の言葉も例外ではない。なるべく他者を傷付けないためには、その可能性を知り、知識や意識をアップデートしながら、言動を改善し続けるしかない。

そんな中で、「これをできない人は人間失格ですよ!」くらいの勢いで、次のような言葉が語られることがある。

①「自分を変えるのは自分」
②「親に感謝しなさい」
③「ネガティブな信念があるから物事が好転しない」

一見道理に聞こえる。その考え方のメリットや合理性を、化学的に証明できる部分もある。こんなことを公言できる人は、尊敬も集めそうだ。しかし、これらの言葉・概念も、一定の人たちを確実に追い詰め、無力感を植え付けている。それは、幼少期の環境に特別恵まれなかった方たち等だ。

ぼく自身は、これらの考えを全面的に否定・拒絶する立場・状態にはない。たが、これらはどちらかといえば思想や哲学に近いものであって、科学のみで構成されている、事実と呼べるようなものではない。万人にポジティブに作用するとは思わないし、理解・実行できる人・できない人の差は人間性云々だ、とも思わない。
なぜ、一概に事実であり、有益だと言えないのか考えてみたい。

2. なぜ事実・有益とはいえない?

①「自分を変えるのは自分」

「教育の理論」でも述べたように、人は遺伝子と環境で決まる。結果から遡れば、当然人の人生は一本道でしかない。いつ、どのような人や情報に出会い、それに対してどのような感情を持つのかも、結局は化学反応でしかない。この言葉が全くの出鱈目だとは思わないし、このような考え方に意味がないとは思わないが、それはいい影響を受け取れる状態にある人にとって、という話に過ぎない。たとえば、鉄に酸素を与えれば錆びてしまうが、アルミニウムに酸素を与えると酸化アルミニウムになる(らしいですよ?)。前者は有害と扱われるが、耐久性が高い後者は有益と見做される。同様にこの言葉を受け容れることで、相手を責める時間を自らの行動を変える時間に変えられる人もいるかもしれないが、親に幼少期からどうしようもできないほどの恐怖を植え付けられてきたような人は、「感謝できないお前が悪いんだ、甘えているんだ」と突き放された気持ちにされてしまうかもしれない。同じ物質であっても、受け皿となる物質によって反応は異なる。
事実は、「人は遺伝子と環境に依存する」であり、「自分を変えるのは自分」という概念は、1つの考え方、道具として存在している。

②「親に感謝しなさい」

この言葉が使われるケースの多くは、おそらく儒教的な教え・道徳が説かれ、「親への不満ばかり言ってないでやってもらったことにフォーカスしてごらんなさいな!あなたがどれだけ幸せか理解できるから!」的メッセージが伝えられる時ではないかと想像する。完璧な親など存在しないので、ひどくまっとうに聞こえる。しかし、やはりこれも親に虐待を受けてきた人であったらどうだろうか。日本では文化的に虐待の事実を隠す方の方が多いだろうし、虐待(他者の苦しみ)を軽視している方も存在する。そんな中、万人に向けて「親に感謝しろ!」というメッセージが届けられた場合、ただでさえ孤立感や周囲の無理解に苦しんでいる人は、更なる枷を与えられて沈められてしまうことになる。
つまり、これも思想であって、人によってはネガティブな結果を生む。

③「ネガティブな信念があるから物事が好転しない」

これは、近年「引き寄せの法則」等に紐づけられて、書籍や動画で数多く目にするようになったと認識している。確かに、科学(心理学)的に裏付けられる部分もある。事故成就予言や偏見バイアス、信念によるストレスとモチベーションの増減といった概念が該当するかと思う。しかし、いずれにしても少しばかり飛躍した考えと言わざるを得ないだろう。「絶対にトップアイドルや野球選手になる・なれる」と信じていた子どもが、全員期待通りの結果を導いているだろうか。また量子力学を理由として挙げる方もあるが、特定の条件下で起きる科学現象(観測者が現実を変える)が事実だとして、それと「だから思想は現実化するのだ」という理論はイコールで結べない。
信念が現実に影響を与えるケースはあっても、絶対的な事実ではない。
「ネガティブな信念があるから物事が好転しない」という言葉もまた、潜在意識に強くネガティブなイメージを植え付けられたような方を追い詰めてしまう。意思や理屈だけではなかなか拭いされないものに対して、「あなたの信念が悪いからだ、自己責任だ」という、脅迫的なメッセージを伝えてしまうかもしれない。ぼく自身も含め、発信する側は、たとえ良かれと思っての行動であっても、自身の想定の外にある事象に気を配る努力が求められている。

「全員にいえることじゃないだろう」、「自分の表現は適切ではないのかも…」、そんな気持ちがあるかないかで、相手の受け取り方も随分と変わってくるのかもしれない。

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