子どもの頃から訳もなく不安で、思春期になって心を病んだ。ぼくの両親はとてもいい人たちで、とても金持ちだということになっていたから、ぼくの言葉に取り合う人は誰もいなかった。確かにぼろくても大きな家だったし、周囲の大人からも子どもからも「甘えてる、贅沢、お前が悪い」と怒られ続けるものだから、当の本人も、あれ、そうなのかな?なんて思ったりしていた。
今ではNHKの報道もあって、日本の精神科医療が遅れてることが多少周知されたかもしれないけど、精神疾患なんて当時は今よりもずっと理解がなかったし、家のことと相まって、どうにもこうにもな状況だった。
そして13歳だったぼくは、気付いたら35歳になっていた。専門医が見付かって、病気が治って、あまりに苦しくて何が何だか分からなくなっていた意識がはっきりしだすと、家族と社会への怒りが突然溢れかえった。結論から言えば、ぼくはネグレクト(暴力もあったけど)にあっていて、それが原因で心を病み、まともな治療すら施されないまま、誰からも同情すらされずに22年も苦しみ続けていたわけです。それで鏡の中には、なんかおっさんがいると。いや、それまでの記憶がなくなったわけでないが、自身の感覚として昨日まで13歳の中学生だったはずなのに、いきなり鏡におっさんが映ってるから…。比喩ではなく、丸一年泣いて過ごすことしかできなかった。人間、採ってる水分なんかよりずっと多くの涙がでるものなんですね、まあその話は今はいいか…
当時、ぼくが怒り狂う理由すら、周囲には理解できなかったようだし、理由が分かった後も、みんな逃げるように離れていった。ぼくを叱り、諭し、怒鳴り、否定し、殴った大人たちは皆いなくなった。家族も。
その後ひとりのカウンセラーに拾っていただいて、まずは高校にでもという流れになり、37歳で高校生、40歳で大学生になった。何年かして自分が発達性PTSDという状態だろうこと、虐待によって脳が傷付いていることがわかったけど、当時は自分が過覚醒状態にあるなんてことも知らなかった。心と体が、今危険な状態にあると常に認識している状態。だからもう本当に人間関係がどうにもならんかったー…。大抵すぐいじめの標的にされるし、何もしてないのに変質者扱いされる、ただでさえ中年学生だし…
どこにいっても話を信じてもらえない、深刻さが伝わらない、自己責任だと見下され不当な扱いを受ける。かつて病気になると同時にたらい回しにあい、ぼくが成人した頃には親は隣町のアパートにぼくを一人入れて軟禁状態、でもそういうことも周囲は理解できないわけです、「体は動いたでしょ?」って。「甘えて生きてきたんだねぇ。」「先進国で法治国家だよ?そんなことあるわけないでしょう笑。」
…本当に自分が悪いのか、じゃあこの苦しみはなんなんだと疑問に思っても、色んな意味で誰もそれを知らない。教員はじめ、大人に対する不信感と教育に対する興味が大きくなり、調べ始めてみたら、ちょっとまあ思った以上にスケールの大きな話だったんすわ…。ひきこもりや自殺だけじゃなく、貧富の格差や、国連から勧告の相次ぐ人権侵害問題、マジョリティーが知らないで過ごしてきたおぞましい差別問題なんかが出るわ出るわ、しかも体系的に全部繋がってる…
そんなわけで、ブログをはじめました。
よろしくお願いします。
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