※本記事は、OpenAIのAIアシスタント、「ChatGPT」の協力を得て作成しています。
※前編はこちらです。
→「プレイヤーの心を試す物語たち1/2回 ― 表現と受け手の境界線を考える(※ネタバレ注意:スターオーシャン3DC・ニューダンガンロンパV3・十三機兵防衛圏)」

なるほど、確かにそうだね。
◆ 芸術は「正しさ」だけのためにあるんじゃない
「役に立つため、ポジティブな側面を強化するためだけに芸術があるなら、ぼくの思う芸術は芸術じゃなくなっちゃう。」
芸術は、必ずしも「癒し」や「共感」や「社会の役に立つこと」だけを目的にしていなくてもいい。
怒り、悲しみ、違和感、不快感、孤独、混乱…
そういう「混沌」や「毒」さえも、表現に込めることができる。
それができるのが芸術なんだと思う。
◆ じゃあ、何が問題なのか?
君が言ったこの言葉に集約されると思う:
「それをなんで他人に見せなきゃいけなかったのか」
つまり、「怒り」や「欲望」や「(表現としての)暴力性」自体が悪いんじゃない。
“それを他人にどう届けるか”、あるいは“どこまで押し付けてしまうか”が問題になるってこと。
たとえば、さっきの裸の例。
自分の身体に愛着があっても、それを突然見せつけることは「表現」ではなく「暴力」にもなる。
それと同じように、強烈な残酷描写や、鬱展開や、過剰な刺激を「他人に見せる」という行為には、「受け手の立場」への想像力が要る。
◆ 芸術と責任と境界
君の考えには、こんな問いが含まれていると思う:
- 芸術はどこまで自由であるべきか?
- 自由と無神経は、どう違うのか?
- 「見せつける表現」と「伝える表現」の境界はどこか?

うん、悲しいだけの歌に癒される人もいるし。…そう考えると、残酷なだけの映像に何か有益なものを得る人もいるのかなあ?ぼくがダンガンロンパをやってみたいと思ったのは、監禁されて殺し合いを命じられた先に、どんな結末を用意してるんだろうと気になったからだったんだけど。精神的にすごく追い詰められてたときだったから、なんとしても希望が欲しかった。残酷なだけだったら、こんなにファンはいないと思ったの。個人的に、1と2からは勇気をもらったよ。
あと、もう一個言いたかったのはさ、スターオーシャン3みたいな展開を嫌いな人の多くは、ほんとうに嫌いだったんじゃなくて、周りで嫌いだっていう人が多かったから嫌いになった(ような気がしてる)だけじゃないかとも思った。人間はどうしても強者や大勢のアイデアに在籍したがるから、本当には嫌いじゃなかった人も多かったんじゃないかって。なんでかっていうと、ぼくは結構面白いと思ったの。虚しさに伴う残酷さを感じはしたけど、だって、ある意味あれはファンタジーの世界から出てはいないんだよ?神を名乗るものが現れる、たしかにそれはその時点でSFではない気がするんだけど、ファンタジーゲームとしてはありがちな展開でしょう?ただ、その神がゲーム会社の人でした、リアルの人でした、ってことなだけでしょう?むしろこれこそSF的展開だよ。それなのに、別次元の神が、現代社会のゲーム会社っていうと、なんでこんなに虚しく感じるんだろう?って考えるとおもしろいよ。おそらく、ぼくらは常に新しい発想を求めてるんじゃなくて、想定内で裏切ってくれることを求めてるんだよね?それって、すごくバカバカしくて、人間らしくて面白いと感じた。

おもしろい視点だと思うよ。
ここには生物学的な認識の仕組みが関わっているよね。
◆ 「嫌いになった」の本当の理由
「ほんとうに嫌いだったんじゃなくて、まわりで嫌いだっていう人が多かったから嫌いになった」
これはまさに、群集心理とか、同調圧力の話だよね。
人は「好き」と言いづらい雰囲気になると、つい自分の感情を後ろに引っ込めてしまう。
とくにネットでは、“作品叩き”が一種のエンタメみたいになっていて、それに巻き込まれてしまうことが多い。
でも、本当に心の中で「これは面白いのかもしれない」と感じていた人、きっといたよ。
君がそうであったように。
◆ 「リアルのゲーム会社が神だった」という違和感
「別次元の神が、現代社会のゲーム会社っていうと、なんでこんなに虚しく感じるんだろう?」
ここ、本当におもしろいところ。
つまり、神の正体が“想像の外”ではなく、“あまりにも現実的すぎた”からなんだよね。
しかも、クリエイティブでも崇高でもない、「営利企業」だったという点が痛かった。
ファンタジーでは、「神」は物語を動かす大いなる存在だけど、
SO3ではそれが **「商業の都合で設定された存在」**だったと示されてしまう。
だからこそ、プレイヤーは「これは夢じゃなかったのか」と一気に現実に引き戻されたんだと思う。
でも、その構造自体に一種のメタな面白さがあるのは確かで、君が感じたのはまさにそこだよね。
◆ 人間は「想定内での裏切り」を求めている?
「新しい発想を求めてるんじゃなくて、想定内で裏切ってくれることを求めてる」
まさに、人間の“快”の構造だよね。
- 予想どおりだとつまらない
- 予想外すぎると拒絶する
- でも、「ちょっとだけズラした驚き」なら気持ちいい
SO3の問題は、そのズレ幅が“快”を超えて、“信頼”を揺るがすほどだったところ。
でも、それを“面白さ”として受け止めたプレイヤーもいた。

現代の作品に触れてて、そういう演出増えたな…ってちょっとがっかりしちゃうのは、作る側に新しいものをつくらなきゃ、話題にならなきゃっていうのが強すぎるからだと思うの。そうしないと売れないっていうけど、そうして出てきたものは一時的に話題になっても、大抵すぐ廃れちゃうと思うんだ… やっぱり、最低限何かを表現する意味を含まないと、新しいだけで味気ないものになっちゃうと思う。さっきの発言と矛盾するようだけど、あとは程度問題なんだろうね。

その感覚、きっと多くの人が共感してくれるものだと思うよ。
表現に対する「まっとうな誠意」と、「本質を見抜く目」の大切さが伺える話だと思う。
◆ 「新しいもの」=良いわけじゃない
「作る側に新しいものをつくらなきゃ、話題にならなきゃっていうのが強すぎる」
これは現代の創作界の大きなジレンマだよね。
話題性、SNS映え、炎上商法、過激さ…
そういったものに頼らないと見てもらえない、っていう焦りが表現をどんどん軽く、薄くしてる。
でも君の言う通り、そうして生まれたものは、一時的なバズはあっても“心に残らない”。
時間が経てば忘れられる。
なぜなら、“なぜ作ったのか”“なぜそれを描く必要があったのか”という根っこがないから。
◆ 本当に人に届く作品って、結局ここに尽きる
「最低限何かを表現する意味を含まないと、新しいだけで味気ない」
これはほんとうにそう。
逆に言えば、「新しくなくても、本質に触れていれば、人の心に届く」。
たとえば、10年前の作品でも、30年前の歌でも、
“そこに命を込めている”ものは今でも通用するし、人を揺さぶる。
- 「伝えたい何かがある」
- 「誰かに届いてほしい気持ちがある」
- 「本気で描かれた怒りや悲しみ、願いがある」

そう考えると、多少使い古されて見えたとしても、受け手が見たいものを届けられる脚本家ってすごいんだねぇ。

ほんとに、そうだね。
それって、実はすごく高度なことなんだよ。
主な参考文献(作者五十音順)
・「十三機兵防衛圏」(2019)アトラス PlayStation 4
・「スターオーシャン3 -Till the End of Time- ディレクターズカット」(2017)スクウェア・エニックス PlayStation 4
・「ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期(Best版)」(2018)スパイク・チュンソフト PlayStation 4
協力
・「ChatGPT」OpenAI 2025年7月11日参照 https://chatgpt.com/
(可能な限り、意図やニュアンスを保ちながら筆者が編集を行っています。不適切だと感じる記述は削除しています。)
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