表現に関するお詫びとご説明

スポンサーリンク

1. お詫び

先日、知人から以下のようなご意見をいただきました。
「「教育の理論」に関わる主張を聞くと、自分の努力を否定されたような気持ちになる。私は確かに愛されて育ち、恵まれた環境だったと思うが、学生時代友人が遊んでいるのを羨ましく思いながら、苦しい思いをしながら必死に努力を重ねてきた。その結果として、進学校に進むことができたのに、愛されてきたからあなたの人生はイージーモードみたいに言われているようで、悲しくなる。」
その後私は、私の表現に配慮が欠けており、そのように感じさせてしまったことを謝罪し、また私がそのあたりをどのように考えているかを説明させていただく運びとなりました。その結果、知人は私の主張をご理解くださり、快く許してくださいました。しかし、このブログにおいても、その知人と同じような気持ちにさせてしまった方がみえるのではないかと考え、この場でも謝罪させていただきたく思いました。

みなさまの苦しみや人生そのものを、否定されるような感情を抱かせてしまっていたとしたら、本当に申し訳ありませんでした。これまで以上に、注意深く表現を選んでいきたいと反省しております。もしも気になることがありましたら、「お問い合わせ」フォームや各記事下部のコメント欄より、気軽にご意見をお寄せいただければ幸いです。少なくとも誤解のないよう、可能な限り「教育の理論」や私の考えを説明させていただきたいと考えています。

2. 幼少期愛されさえすれば、必ず「楽」な人生になるか

それでは以下、「苦しみながらの努力」を、私がどのように考えているかを説明させていただけたらと思います。

結論だけを端的に述べることが難しいのですが、まず、私が「教育の理論」として主張するものは、幼少期におけるアタッチメント(安心感・安全感を得ていく過程)の重要性を訴えるものです。教育学、心理学、社会心理学、脳科学等の各分野が、異なったアプローチから辿り着いている結論を、当事者としての視点を交え、理解しやすいと思われる表現によって統合したものです。しかし、必ずしも「幼少期さえ無条件の愛情を感じられれば、問題なく生きていけます」、という意味ではありません。確かに幼少期の経験、刷り込みは潜在意識深くに入り込みやすいため、非常に重要なものではあります。その基盤が整っていれば、理論上は、その後多少の困難も乗り越えていけると考えられるからです。しかし、幼少期に愛情をしっかりと受け取ったと、自他共に認識されるような方でも(アダルトチルドレンには、自身は愛されて育ったと誤認しているケースが見受けられる、という見解もあるため、断言は難しいのですが…)、受験戦争に巻き込まれたことをきっかけに、その後高い社会的地位を築いたものの、どこまでいっても安心感や幸福感を得られず、追い立てられる生活に疲れ、自死を選ばざるを得なくなった、といったような、どこか似通った話を聞くことがあります。

これに関して、私は以下のように考えています。
精神面でも、学力面でも、裕福な家庭であるほど、安定した教育を受けやすい傾向にはあるが、あくまで傾向であり、決して両立を約束するものではない。仮に、その環境下で精神面の安定を築けたように見えても、学力面での教育や環境下での学び(優秀でなければ幸せになれない、等)は精神面での安定を崩すことがある。無条件の愛情(肯定)を感じるとは、厳密には「養育者から」のみ得るものではなく、「環境そのものから」を指している(しかしながら現代の社会的文脈においては、養育者等の在り方が子どもに対して重大な影響を与えやすいと考えられる)。そのため、(ノンバーバルなメッセージ含め)たとえ養育者から無条件の愛情を感じて育っても、たとえば就学段階等の環境下において、自己を肯定するための条件を設定してしまうことがある(他者比較の上での高い能力、高い地位、社会的価値観を軸とした向上心、等)。
つまり、苦しいのに(限度を超えて)努力を継続せざるを得ない状況に陥っているということは、(その時点においては)自身を取り巻く環境から無条件の愛情(自己肯定)を感じられなくなってしまっている可能性が高い、ということです。

3. 潜在意識下(コントロールが難しい)に刷り込まれる情報

心(脳)の基盤が健康な方でも、戦争やレイプといった極度の恐怖体験によって、PTSDや各種精神疾患に陥ることがあります。しかし、これは局所的な事象によってのみ引き起こされる現象ではありません。たとえば、発達性PTSDは幼少期に繰り返されるストレスによって引き起こされる状態(診断名ではない)ですが、よく似た症状が見られる複雑性PTSDは、幼少期に限定されず、大人になってからも陥るものです。たとえ幼少期充分な愛情を感じられても、進学校やブラック企業内の過度のストレス等によって、心身のバランスを崩してしまう可能性がある、といえるのです。
私は、これらの多くを、「強迫的なまでに他人の価値観に縛られ、自分軸で生きられなくなっている状態(こうあらねばならないと強く思い込まされている状態)」であるという観点から、「潜在意識の問題(意識的な理解だけでは解決できない問題)」と表現します(脳にも物理的な変化を起こしている)。

たとえPTSDとまではいかないとしても、生育環境からの学びは人の人格形成において非常に重要であり、その後の生き方を左右するものです。自分の性質を自己理解だけで変化させることは難しく、よって私はこれも同様に潜在意識の問題と表現してきました。無条件の愛情を感じられる環境があることは、成人後も重要だと考えていますが、初めから大人にも焦点を当てた主張をしてしまうと、格別「大人になったら自己責任」という考えが主流の日本の現状では、より理解していただきづらくなるのでは…と考えていました。そのため、主として幼少期にフォーカスすることで、まずは子ども時代に苦しまれたご本人や、熱心な教育者(養育者や教員)の方から、ご理解いただけないだろうか、といった思惑があったのです。

本当はやりたくないことを、やらなければいけない」、と強迫的に取り組み続けることは、とても辛い体験です。愛情を感じて育てなかった方の過剰な努力といった苦しみ同様、無条件に自身を肯定できない苦しみですその気持ちに対して、「あなたは恵まれている」というメッセージを届けてしまっていたとしたら、本当に申し訳ありませんでした。重ねてお詫び申し上げます

4. 愛情(他者の言動)の重要性を強調することで届けたい、もうひとつのメッセージ

その上で、改めてお伝えしたいことがあります。愛されずに育った方は必要な支援を受けづらい(傾向が強い)、という視点です(結果自死等に追い込まれる危険性が高い)。
上述の知人の方からは、「努力の能力を身に付けられないような環境で育った方に対する偏見はなくなったが、それでも愛されて育った人だけが楽をしているとは思えない」、ともご意見をいただきました。
傾向として、愛されて育った方の方が安心感や安全感のもと、自分軸で生きていける傾向は高くなると考えますが、上述したように、私も決してそのように線引きできるものと考えているわけではありません。ただ、おっしゃりたいことはとても分かります。たとえるなら、「無条件の愛情を受け取れず、裏で人知れず苦しんでいたとしても、自分は辛い中必至に毎日勉強してきたのに(その時点において、自身に条件付けを行わねばならない状況になっているわけではありますが…)、遊んでいるだけに見える人は本当に自分よりも苦しいのか」、といった感覚でしょうか。
愛情を感じて育つことの重要さを強調したい気持ちは変わりませんが、そこにはもうひとつ、「全ての方が必要な支援を得られる社会であるかどうか」を考えていただけたら、と願う気持ちがありました
人間社会では、目に見える生産活動的努力に対して、評価や同情が集まる傾向があります。一方で、特に日本のような精神論や優性思想が根強い国では、生産活動に直結しない苦しみや病状を怠慢や穀潰しだとして、自己責任論等の元に切り捨ててしまう傾向があります。環境に恵まれなければ、苦しい人生になるだけでなく、誰からも理解や支援を得られず、尚のこと社会の隅へと追い込まれてしまう危険性が高いということです。少し大きな話になってしまいますが、そのような方の苦しみにも寄り添える社会を目指すことが、結果として国民全体の幸福度を上げる手段になると考えます。誰もが、いつ何があっても安心に生きていける社会になったら、素晴らしいと思われませんか。たとえ現在、裕福で幸せ、他者を差別する側でしかないと考える方がみえても、それは結局自分自身を肯定するための条件付けになっています。人間の性質上、必然的にそこに隠れる無意識の恐怖やプレッシャーは、子どもの教育にも影響を与えてしまうかもしれません。(お金持ちの子どもは何処までいってもお金持ち、これもあくまで傾向の話であり、絶対の話でありません。私の家系も正にそうでした。)

余談となりますが、私はもともと、GDPではなく、幸福度に焦点を当てた政治をするべき、と考えていました。その根本的な価値観自体に変化はないのですが、幸福度を追求する国政によって、逆にひきこもりや自殺問題が浮上してしまっている国もあるようです。私の勉強不足で、まだ断言できるような状態ではないのですが、幸福という概念が、GDPや優秀さのような追い求めるべき目的になってしまうと、幸福すらも「条件」になってしまうのかもしれません。幸福という状態を一直線に目指すよりも、無条件の愛情を一定以上感じられる社会(理解と支援、それぞれの存在を肯定できる価値観)を目指した方が、近道だという可能性があります。

お読みいただき、ありがとうございました。これからも引き続きお付き合い願えれば、嬉しく思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました