「〇〇な人に近付くな!」は大概、偏見

②けいけん(考え)
画像出典: betidraws
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「○○な人には絶対に近付くな!」
「いつまで親の仕打ちの話をしているんだ!情けない!」

ネット記事やYouTubeで、時折このような発言を見かけます。残念なのは、精神科医やカウンセラーを名乗り、苦しむ人たちを助けたいという立場を取る人たちの口からも、このようなフレーズが飛び出していることです。

「甘えている人」、「依存する人」、「感情的な人」、「迷惑を掛ける人」、「害しかない人」と、様々な表現がなされますが、大概の場合、これらは幼少期の体験によってこころに問題を抱えさせられ、苦しんでいる被害者です(詳しくはこちら:「教育の理論「概要」」)。

本来、周囲から理解すら得られず、孤立しがちなこれら被害者たちをこそ救う立場にある方たちが、上記のような情報を公の場で発信してしまう…。心理学や教育学の観点に立ち返ればできる理解を難しくしている要因は、日本の医療(理解)の遅れ、及び妄想共有(能力)だと考えられます(関連記事:「専門家に頼れない?心の問題」「妄想共有能力」)。先進国ではあり得ない「専門的な」情報が共有され、日本というコミュニティにおいて常識化されていく。よって個人の問題と捉えるよりも、社会全体の問題と捉えるべきでしょう。書籍においても、「○○症は逃げだ」、「○○病はこころが弱く汚いからなるのだ」といった類の記述を見かけることがありますが、これらは少なくとも、科学的な理論に沿うものではありません。また、哲学やエッセイといった分野からの主張であったとしても、国連から人権侵害で勧告を受け続ける日本において、これらは悪習を助長し、マイノリティーを追い詰める行為であり、決してあってはならないことです。

日本では、性格やこころの問題、精神疾患といった概念が、「心の清らかさ・強さ」や「こころの持ちよう」、「格の高さ」といった精神論的な言葉を用いて語られがちです。そのため専門家でも、知識を日常レベルの感覚に落とし込むことが難しいのかもしれません。
2021年、妹尾武治氏による『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』が刊行されました。私はまだ拝読しておらず恐縮ですが、人は一生涯、何一つ自由意志で選び取っていない、といった内容だそうです。自ら「トンデモ本」と称されていますし、確かに一見極端な理論に聞こえます。しかし、教育の理論から考えてみれば、全く以て不思議な話ではありません。教育学や社会心理学に沿えば、人間性や社会的成功、こころの状態といったもの・人生の全ては、個人に委ねられていない、という解釈が自然です。だからこそ育成環境を整え、適切な教育(学習面だけを指さない)を施すことが重要視されています。

・まとめ
こころの問題(遺伝子の問題含む)を精神論や根性論で語ることが美徳、といった、謎の感覚が長年に渡り共有されてしまったことによって、日本では多くの人権侵害が解消されないまま国外から指摘されている(妄想共有の外から見れば、日本で起きていることは理解できないということ)。一般にも知られる社会問題、推定140万のひきこもりも、一日60人の自殺者数も、教育や社会的環境を発端にする。人の妄想共有能力をメタ認知し、正しい理論を共有すれば、当事者も支援者も共に解決に向かうことができるようになるし、教育が安定する。

・ダメ押し
これらの考え方をどうしても受け容れられないという方は、以下のように考えてみてください。
高校生頃になると、学校で適応規制を学びます。人は精神的に追い詰められると、無意識にこころを守るための行動を取る、という働き・機能です。しかしこれら一連の行動に対して、「自分勝手だ」と思われる方がいらっしゃるでしょうか。環境に追い詰められ、攻撃的になったり退行したりする方を前に、「どんな遺伝子を持ってどんな環境で育とうと、自分だけはそんなこと絶対にしない!あなたのやっていることは人としてあり得ない!」、と責めることができるでしょうか。性格やこころの問題、精神疾患も、この延長でしかありません。「「自己責任」を捨て仕組みを変える必要性」でも述べましたが、こころ(脳)は他者の存在を織り込み形成されるもので、人は決して独立して存在することができません。そのため、親や周囲の在りようで子どもは決まるのです。学力も、こころの安定も、です。

あなたは、素晴らしい、何があっても。あなただから、素晴らしいのではありません。

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