【「自己責任」を捨て仕組みを変える必要性】ジャングルポケット斉藤慎二書類送検を受けて

②けいけん(考え)
画像出典: Georg_Wietschorke
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・はじめに
私は、被害者の方が加害者の方を殺したいほどに恨んだり、悔しい思いをされたりすることは当然だと考えています。周囲が被害者の気持ちを一番に考え、心身面は勿論、社会面でもご当人に寄り添った支援を提供する必要があると考えます。また、この記事によって犯罪行為自体を正当化したいといった意図・目的はありません。しかしながら、何某かの犯罪やいじめ等によって、現在苦しみの渦中にいらっしゃる方には、この先の記事が負担になるかもしれません。ご理解ご了承の上、ご無理のない範囲でお読みいただければと思います。(関連記事:「思考と感情は別物」

・伝えたい私の結論
個人は社会から独立して存在し得るものではないため、犯罪と犯罪を行った個人をイコールで結ぶことはできない。個人が罪を犯すに至った経緯や本質的なこころ(脳)の問題を知り、回復・支援できる社会を形成することが必要であり、それこそが全ての人が安心して生活できる社会を意味する。

・本文
タレント事情に疎く、自身のメンタルヘルス回復のためニュースから離れている私にとっては、かつては大人気だったはずの斎藤慎二が一転して叩かれているのを知り、大きなショックを受けました。私にとっての斎藤慎二はいじめで苦しみ、その経験を活かしていじめ問題にも取り組むタレントというものでした。

一通りインターネットで情報は集めましたが、私個人が断言できることは少ないと考え、「過去つらい経験をした人が起こす犯罪」という大きな枠で捉え、話を進めたいと思います。斎藤慎二に当て嵌まらない考えも存在するかもしれませんが、ご理解の程お願いいたします。

「生きづらいあなたに知ってほしい、教育の理論「概要」」でも話しましたが、特に幼少期の体験が人の一生に大きな影響を与えます。潜在意識(脳)に刷り込まれる情報・感覚が社会生活を送る上での基盤となるからです(たとえ「自分には価値がない、人間はみんな敵だ」と刷り込まれても、人は独立して生きられません)。更には、「専門家に頼れない?心の問題」でも言及したように、日本ではメンタルヘルスの専門家・機関が機能していないケースが少なくありません。これは福祉も同様だと主張します。度々、「日本では家族で助け合うことを前提に、全てのルールが作られていること」がメディアでも取り上げられますが、これは、幼少期から辛い経験をし易い機能不全家族では多様な問題が起こりやすく、救済手段もない(少ない)と指摘しているのです。(そのため、こころ(脳)の基盤が適切に形成されていない人だけでなく、シングルマザーが金銭面や精神面で疲弊したり、家族からも理解を得られなかった障害者がホームレス化したりしやすくなります)

つまり、幼少期に満たされていない人ほど、周囲と関係を築くのが難しくなる傾向にあるといえます。しかしここで誤解のないようにしたいのは、「だから罪を犯しやすい」と述べているのではありません。前述してきたように、「基盤の安定しない人たちを理解し、救済する手段が乏しいために、たとえ表面上の問題が解決したように見えても、本質的な部分で解決していないケースが多く、精神的に追い詰められやすい」、というのがここでの私の主張です。(念のため、精神障害者は事件を起こしやすい、というのは偏見であり、データ上健常者による事件発生率の方が高くなっています。そして私が言及したい焦点は、「どちらが罪を犯しやすいか」ではありません)

人は遺伝子と環境で決まる、というのが教育においても一般的な考え方です。どちらも本人に選択できるものではありません。だからこそ本来は、辛い経験をした人の回復を支援し、サポートする体制が必要です。しかし、それが不十分な日本社会では、全てを自己責任という言葉に集約させてしまいがちです。ですが常識という概念に身を任せるのではなく(関連記事:「【妄想共有能力】なぜ人は流されるのか」)、ひとりひとりが知識を身に着け、本当に適切な政党を選択することで、社会は変えていけるはずなのです。確かに、社会問題を解決するのはいつも発達障害者だといわれるように、妄想共有能力の高い定型発達者(マジョリティー)にとってそれは簡単なことではないかもしれません。しかし程度の差はあれ、メタ認知が能力の外へ出ることを可能にしてくれるはずです。

かつては今よりも、麻薬をやめられないことは個人の責任だ、こころの弱さだと、タレントがその代表かのように叩かれていた時代があったと記憶しています。それらと似ている部分が、今回の件にもあるように思うのです。

公表される情報だけで判断し、断言できることは少ないとはいえ、被害者の方も存在することなので、公の場である以上「斎藤慎二」と表記させていただきますが、本来犯罪とは個人の問題とすることは難しく、そのために更生という概念が存在するのだと考えます(私はどちらかというと、周囲や自身が個人への愛情を認識させていく、潜在意識の再教育という言葉がより適切かと思います)。それまで信頼を集め、人気があった人ですら、罪を犯した途端に糾弾され、こころない言葉が行き交います。あきらめと嘲笑の雰囲気の中、自己責任だと収束させることが、本当の解決、前進なのでしょうか。それは一見責任・分別のある「大人」の対応に見えるかもしれませんが、不祥事を起こした時こそ、一緒に頑張ってきた仲間や周囲がその人を支え、何が問題だったのかを考える社会である方が、ずっと素晴らしいと思われないでしょうか。中には切り捨てるような表の態度とは違い、裏では必死に支えておられる方もみえるかもしれません。今回のケースでも、加害者を含めた前進を考えておられる方が、多く存在していることを切に願います。

一般的に受け入れられやすい考えではないことは承知の上ですが、人のこころ(脳)は他人の存在を織り込みながら形成されるため、長所も短所も個人の責任だと処理することは不可能です。死刑制度を人権侵害だとする考えも頷けます。だからこそ、お互いの長所だけでなく短所を受け容れ(そのままでいい、何をしてもいいという意味ではない)、犯罪抑制のためにも、社会全体で支え合う姿勢が必要だと考えます。

被害者の方は勿論、罪を犯した人のこころも、本質的に癒すことのできる社会。延いてはひとりひとりが安心して暮らせる社会が実現できれば、どんなに素敵だろうと思います。

主な参考文献(作者五十音順)
・「ジャンポケ太田が朝の生番組出演で「すみません」 共演者から優しくいじられ「画面的に一番ふざけてないですか?」」Microsoft Start 2024年10月11日参照 https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B1%E5%A4%AA%E7%94%B0%E3%81%8C%E6%9C%9D%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%95%AA%E7%B5%84%E5%87%BA%E6%BC%94%E3%81%A7-%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93-%E5%85%B1%E6%BC%94%E8%80%85%E3%81%8B%E3%82%89%E5%84%AA%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%89%E3%82%8C-%E7%94%BB%E9%9D%A2%E7%9A%84%E3%81%AB%E4%B8%80%E7%95%AA%E3%81%B5%E3%81%96%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B/ar-AA1s3rWW?ocid=msedgntp&pc=DCTS&cvid=b383ecee143d4299a879c319e39359fb&ei=11
・「ウツも自殺者も切り捨てる、“自己責任至上主義”の恐怖ーOECDからの警告ー」YAHOO!JAPANニュース 2024年5月3日参照 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/32c1ff1711c9be6a34f47f97a5f1f2a58044d297
・「「家族で支え合う」 が前提に。孤独孤立状態の若者を支える制度の課題」Ridilover Journal 2024年10月11日参照 https://journal.ridilover.jp/issues/f27d492776c4

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