こころ(脳)の被害者、軽傷者だけが理解される不思議

②けいけん(考え)
画像出典: anselmo7511
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近年、学校教育でもひきこもりや各種障害に対する配慮が重要視されるようになってきた。少なくとも、現代の教員候補性たちはそのように習う。しかしこころ(脳)の問題に絞ると、教育だけに留まらず、医療、福祉の現場でも、より「普通」に見える人だけに支援が提供されているように見える。(それも充分だとは考えていないが。)

以前、以下のような感想を持ったことがある。

日本って不思議な狭間にあるのか、「子どもや若い女性の障害者は守る対象」なのに、「大人の障害者は排除の対象」だったりする。「こころが弱っているレベルの人は助けてあげたい対象」なのに、「精神疾患レベルの人は近付きたくない対象、保健所に通報して隔離してほしい対象」だったりする。

なぜそう思うかといえば。これから言うことも、体験談といった類の域を出るものばかりではないのだが。
・たとえば、子ども食堂も含むだろう居場所活動において、周囲とコミュニケーションがある程度円滑で、こころ(脳)に大きな問題を抱えていない人間だけが受け容れられ、参加できているのではないだろうか。若年層にターゲットを絞った福祉、ボランティアも見掛ける。特化するべき支援もあるだろうが、現在の若年層以外にもきちんと手が差し伸べられているだろうかと考えたとき、疑問に思う。本当に年齢を絞るべき福祉内容ばかりだろうか。

・たとえば、障害者雇用において、当然新卒生や軽度の身体障害者から職を得ていく。逆にいえば、環境により精神的負担を強いられたものにはチャンスが少なく、より長く苦しんだ者ほど職を得られないということになる。

・たとえば、精神科医療において、症状が軽ければ薬を処方されるなりして、かろうじて社会との繋がりを維持したまま生活を送ることができる。しかしそうでなければ大量の薬と共に隔離され、長期入院を強いられるケースが出てくる(適切な医療が行われていない場合、どちらも被害者であることには変わりはない)。(関連記事:「専門家に頼れない?心の問題」)

思考実験というほどのものでもないのだけど。もし仮に、ひとりぼっちで泣きそうな顔をして、教室の隅でひとり佇んでいる美少女、もしくは美少年がいたら、どうだろう。勇気を出して声を掛ける人は、それなりにありそうだ。「どうしたの?大丈夫?」でもこれが、着ているものもボロボロ、悪臭を放つ、美形とはいえない中年の方だったらどうか。ぼくのように、中年になって高校・大学に通うケースもある。困っている人が迷い込んだだけかもしれない。けれど実際には、通報するものすらありそうだ。

数年前、NHKのとある番組内で、著名な精神科医であるA氏が、とあるタレントのB氏と共演されていた。手元に資料がないので、ぼくの記憶の話になってしまうが、A氏が日本の精神科医療の遅れについて言及されると、B氏は非常に驚いた様子を見せていた。A氏は、日本では(鎖に)繋がれる医療から(牢に)隔離される医療に変わっただけだ、といったことも仰っていた。それらに対するB氏の発言に衝撃を覚えたのだが、記憶によればそれは以下のような発言だった。「でも、隣にそういう人がいたら怖いですもんね。」だから仕方ない、という趣旨だったのだと思う。当時ぼくは、Bさんのように、博識で本当の意味で頭がよい(とぼくが思っている)方でも、そういう認識なのか…、という、社会に対する諦めのような気持ちを抱いた。画面には、ただ俯くA氏が映し出されていた。

あくまでぼくの記憶だし、記憶と解釈に間違いがなかったとして、決して個人攻撃をしたいわけではない。日本で育てば、上記のような認識になって仕方ないだろうと思うし、日本全体で見た時、「どちらかといえば」善良で平和的な方だろうと思う。ただ、当然、こういう社会のままでいいと思っているわけじゃないし、そのためにできることをと考え、ブログにも綴っている。そのB氏もきっと、教育の理論や日本の人権侵害問題、後進性を知りさえすれば、自分はなんて恐ろしいことを言ってしまったんだろう、と、そのように感じてくださるものと想像する。ノーマライゼーションという概念が輸入されて、障害者は殺して当然といった社会的な妄想共有が、以前ほど強固でなくなった今ならば。(関連記事:「妄想共有能力」)以前インド人の大学教授から受けたお叱りのお言葉、「日本人だから差別をするんじゃない、知らないから差別をするんだ。」

福祉が機能していないと言われる要因の1つも、本来は困っている人々を救うための福祉が、彼らを理解し支援するための十分な知識を持たず、偏見に基づいたルールの範囲内でしか動けないことが挙げられると考えている。その言い訳が、「自己責任」なのだ。

全ての困っている人に対して、皆がプライベートで助けにいくべき、みたいなことを主張しているわけじゃない。けれど、困っている人を助けられる制度を機能させ、学校で習うような立憲国家を目指す必要はあるだろうと思う。

主な参考文献
・「貧困と生活保護(38)人を死なせる福祉の対応(上)」yomiDr. 2024年10月19日参照 https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20160908-OYTET50022/

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