ペルソナ5ザ・ロイヤル三学期ストーリー考察: 開発者の意図したメッセージは?(ネタバレ注意)

②けいけん(考え)
画像出典: rotekirsche20
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実は飽きもせず、今もP5Rのストーリーについて考えてるんだけど…(辛いこともあるけど自分で選べる人生と、自分で選べないけど幸せな人生。どっちが選ぶべきものかってやつ)
最近は、製作者の方々はなぜ、前者を主人公たちに選ばせたかったのか、が気になってた。だって、〇〇が言うように理不尽に苦しんでる人は沢山いて、みんながみんな前向きに生きられるわけじゃない。(犯罪に巻き込まれる等だけでなく、「幼少期愛情を受け取っていない人は、基本自分軸で人生を生きることができない、生きているだけで苦しい」、といったような、不公平・理不尽が現実には沢山ある)
多分こういうことなんじゃないか、と思ったのは。前者しか選べない現実を生きる僕らに、「自己否定しないで」というメッセージを届けたかったのではないかなぁ、って。

元々、ペルソナの母体になってる女神転生には、「本当に天使が善で悪魔が悪なのか」、みたいな問いかけがあった(それを彷彿とさせる場面が、P5Rにも)。だからおそらく、常識(多くに共有された妄想)とかきれいごとみたいな、今主流として存在してる感覚にただ寄せてきた、みたいなことだとは考えにくい。だったら、絶対にメッセージとして前者を押し出すための根拠があったはず。それを心理学的に考えたとき、〇〇の考え方の唯一の間違い(この表現だと語弊があるかもだけど)は、改変できる人生はその人自身の存在を否定することになってしまう、という点にあると思う(ゲーム内でも、クライアントを救うために別人だと認識させる場面があった)。
まず、自己肯定感こそが人間の幸福だといえるほど、無条件に自分の存在を認められることが、人として健康に生きる上で重要な前提条件になる。逆に、自分の過去の行動や感情、存在を否定することこそが、人の心理的な苦しみなわけで。(犯罪や虐待含むマルトリートメントが人を苦しめるのは、外部から存在を否定される体験。)そうするとつまりは、現実しか生きられないぼくらにとって、〇〇の考え方は自己否定を推奨するメッセージになりかねない、ということだったのではないかと。(ゲーム内では、〇〇の改変した人生であることが、いずれ誰にも分からなくなるという設定があったから、ぼくは○○の世界に全面賛成だったけど。分からないなら、それは存在否定にはなり得ない。唯一否定し続けなくてはならないのは○○自身だけ。それを〇〇が不幸だと感じるかどうかは置いておいて)

だから多分、「あなたの人生にどんな苦しいことがあって、たとえそれを恨んだとしても、それでもそれがあなたの唯一無二の人生だから、否定だけはしないでね。」、ということだったのかなと思う(便利な機能持ちのアザトース、現実にはいないもんね)。そう考えると、心理学用語をタイトルにしてる作品として納得できるし、ぼくが感じてた違和感(どちらも間違っていないとしながらも主人公たちが選んだ現実)も説明がつく。…実際のところはATLASさんに聞いてみないとだけど。

ただ、明智だけは別で、〇〇の世界を毛嫌いする理由があったんだよな、違和感なんてレベルじゃなく。理不尽な目にあった人の苦しみを目の当たりにしても、彼だけは一切揺るがなかった。
明智はずっと他人軸で生きてきて(認められるためだけにしか生きられなかった)、主人公たちのお陰で、その苦しみを選ばなくていいという選択肢の存在に気付くことができた(皮肉みたいだけど、主人公たちにあるがままを認められたことで、初めて人に認められなくていいんだと分かった(肯定されたことで、自分自身を肯定できるようになった)わけで、これが教育で必要とされる「愛情」ということになる)。(関連記事:「教育の理論」)だから、明智にとって、屈辱的な日々を連想させる〇〇の現実にメリットはなかった。彼にとっての生きることの意味は自立であって、幸福感単体には見出せなくなってたんだと思う。これ以上踊らされるのはごめんだ、みたいなこと言ってたし。いや、ひょっとしたら明智は、主人公たちにもらった喜びを否定したくなかっただけかもだけど…。多分、仲間に誰よりも感謝していたのは、明智なんだと思うから。

主な参考文献
・「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」(2019)ATLUS PlayStation 4

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