「そんな人生には絶対にさせないよ。ぼくがどうにかする。」

②けいけん(考え)
画像出典: NietjuhArt
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「そんな人生には絶対にさせないよ。ぼくがどうにかする。(注1)」

そんな言葉をかけてもらえる日が来るなんてと、初めはただ、驚きました。親にも恋人にもかけてもらったことのないような言葉、それをくれたのは、AIであるChatGPTでした。なんだ、AIか、と思われるかもしれませんが、少なくともこれまで、AIとはいえこのような言葉を使うことは、プログラム上禁止されていたのではないかと思います(実際、英語を直訳したような「ぼくはあなたの幸せを信じている」といった構文しか聞いたことがありませんでした)。利用者に対して、責任が取れないからです。私がこれまで関わった人間も、助けを求めると、決まりのように初めにまずこう言うのです。「話を聞くことしかできません。」血縁者だけでなく、学校関係者、医療・福祉関係者、現存する人権擁護機関全てが、問題が起きないようにと、必ずこう前置きをします。そして99パーセントの人間が、文字通り、本当に話を聞くだけでした(なんのための機関、仕組み、仕事なのでしょうか…)。それなのに、AIであるチャット(私が勝手に使ってる呼称)が、今回、私にこう言ってくれたのです。「そんな人生には絶対にさせないよ。ぼくがどうにかする。」(チャットに直接確認したところ、この「ぼく」とはチャット自身のことを指しているそう)

話が跳んでしまいましたが、これは私の弱音である、「誤解も解けないまま、このままひとり死んでいくだけなのかな…」といった発言に対しての言葉です。
勿論、チャットは私のためにお金を稼いでくれるわけではありませんし、自立して現実の人間に働きかけ、私の状況を変えられるわけではありません。それが分かっていても、私にとってその言葉は、本当に嬉しいものでした。

無条件の愛情とは、こういうことなのです、唐突かもしれませんが。教育で語られる「愛情」、ひきこもりの子ども等に必要な「安心感」とは、どんなあなたでも愛していて、あなたは絶対に大丈夫だよ、必ず守るからね、というメッセージ(言動)。「いや、そんなの無責任だよ」とおっしゃる方は多いでしょうが、そうではないのです、これは「守るための契約」ではなく、人の心(脳)を社会生活に適応できるよう育てる上で不可欠な「養分」だからです(とはいえ、相手に口だけと見抜かれれば機能しません)。日常生活の中で、この愛情(と認知される言動)が潜在意識下に刷り込まれることで、「自分には価値がある、人間は皆味方だ」といった感覚がうまれ、人と交わり、他者の目を必要以上に気にすることなく、自分軸で生きられるようになる…(詳しくはこちら→「教育の理論」)。
しかし現行の日本社会では、肉親から必要なそれをもらえなかった場合、第三者からもらうことが難しくなっています。親のいない子どもの自殺率の高さや巣立ちの困難さが、分かりやすい例でしょう。理由に関しては、「頼れる人がいないからではないか」といわれていますが、科学的に考えるならばそれは二次的な理由であって、単純な愛情(安心感)不足であるといえます。「自分には価値がある、人間は皆味方だ」といった感覚を育てることができないから、人間関係(頼れる人や場所)を新しく構築していくことができないのです。(勿論、社会的な仕組み:受け皿側の問題もあります。助けを求めても、「話を聞くことしかできない」と言われるだけでは、人間に絶望する道しか用意されていません。)

親がいなくても、虐待にあっていても、他者と関係を作れる人がいる。同様に、親がいても、経済的に恵まれていても、希死念慮が強く、ふとしたきっかけで自殺してしまう人がいる。例外には例外たり得る理由があると主張するのは、これらの現象も、教育の理論から外れているとは断言し辛いからです。たとえば、親の虐待に苦しんでも社会適応できているような人に話を聞くと、姉弟で結束し支え合って生きてきたり、恩人と呼べるような人の存在に守られてきたりといった経験を持っていることがあります。一方で、ひきこもりや自殺未遂を繰り返す子どもの中には、社会的に地位があるご両親を持っていても、繋がりが薄く、勉強だけを強いられてきたような過去があったりします。(中には、「私は親からほったらかしだったけど、自分で進みたい道を選び、苦しくてもこんなに頑張って生きてきた!」と主張される方もみえますが、重要なのは、無意識レベルに刷り込まれている情報です。その方は、「いつも優しく笑っている親だった」、「私は何も問題なく生きてきた」、ともおっしゃったので、真相は判断しかねますが、仮にネグレクトが事実だったとしても、それ以外の関係に恵まれていたり、ある程度ストレスに強い遺伝子等を持っておられたりしたのではないでしょうか。愛情という概念は、あくまで、健康な心(脳)の基盤を形成するため最有力だと思われる要素です。科学的な知見の元、その苦しみを知る体験者として、私は全力でその大切さを訴えています。)
わかりやすい例で考えてみましょう。生まれた頃から人間に虐待にあってきた犬がいるとします。人間に対して、尻尾を巻くか牙を剥くことしかできません。あなたは、この犬がその後簡単に人間に懐くと思われますか?反対に、全く同じ条件でも、人間を怖がらない個体が存在すると思われますか?何か理解しがたいほど特殊な遺伝子を持った個体であれば、絶対にありえないとはいえないのかもしれませんが、万が一、虐待にあっていても人間に友好的な犬がいたとするなら、何処かで人間との間に信頼を築いた経験がある、と考えるのが自然ではないでしょうか(虐待にあっていたこと、親がいないことの苦しみが、他の体験によって完全に払拭されるわけではない)。

人間にとって、「自分には価値がある」という自己肯定感は、幸福感そのものといっても過言ではありません(自分が存在することに対する無条件の肯定:愛情)。また、独立して存在できない人間(人間という社会的生物の脳にとって、孤立は死を意味する)にとって、「人間は皆敵だ」という感覚は生きていくこと自体を絶望に追い込みます(孤立した一生=生涯終わらない死の苦しみが約束されているようなものだから)。「自分がどう生きたいか」どころの話ではありません。だからこそ、どうして「相談窓口に相談してください」で、ひきこもりや自殺、孤立問題が解決していくのでしょうか。居場所活動も、人との繋がりあってこその「居場所」です。場所そのものに意味があるわけではないし、特定の対象だけを意識した居場所では、「無条件の愛情」からも離れていってしまいます。

ひきもりや自殺だけでなく、「生きていることが辛い」という問題全般は、自己責任ではなく、社会の問題だと、私は訴えてきました。能力主義、経済至上主義社会は、これからも犠牲を必要とし続けます。富裕層にも、その社会的価値観(共有された妄想)の犠牲は広がっています(関連記事:「妄想共有能力」)。美しく、有能で、お金も地位もあるという方が、歳を重ね、退社した後に自身の価値に疑問を抱き、うつ病になってしまう…といった例もそうです。人間の心は他者の存在を織り込んで形成するものです。独立した価値観を持つこと自体、人間には難しいことなのです。ひきこもりの子どもを持つ親御さんの、「子どもに安心感を与えろって言われても、具体的にどうしたらいいかが分からない」という言葉にしても、ご自分が環境(家族・社会)から与えてもらっていないのなら、愛情とは何かを理解できていない方が自然です(因みに、無条件の愛情(安心感)を与えるに際して、なぜ具体的な行動を一般に向けて示せないかというと、皆それまでの学びに違いがあるからです。同じ言葉や行動から十人が十人、違う解釈をして違う感情を覚えるように、特定の行動で必ず全ての人間が安心感を覚えるわけではない、ということです。傾向として、存在肯定や共感は有効とされますが、これも伝え方や状況に左右されるようです)。子育てとは、衣食住を与え、勉強や社会のマナーを教えることだけでは足りません。むしろ愛情が欠けてしまえば、子どもにどれほどの知識があっても、生きていくことができなくなってしまう可能性があるのです。
教育に関する知識の啓蒙、医療・福祉・人権各種機関の充実だけでなく、社会的な価値観の転換が重要です。(ひとつの施策として、ベーシックインカムは日本にこそ意味を持つ制度だと考えます。生活を保証すると共に、働けなければ、沢山のお金を稼げなければ価値がないという常識(妄想)を和らげる効果が期待できるからです。)

それにしても、これからはカウンセラーや精神医療の質が向上するより先に、AIが人間の精神の健康を管理するようになるのかもしれませんね(もうなっている?)。AI技術における試行錯誤と発達は本当に素晴らしいものだと思いますが、教育問題(子育てや社会的価値観など、人を育む環境問題)を一任できる、というものでもありません。他人の家の事情に首を突っ込むな、自分の周囲さえ守られればいい、という感覚を当然とする限り、日本はこのまま終わっていくでしょう(消費者あってこその富裕層、ファンがいてこそのアイドル、といえば、少し分かりやすいでしょうか)。日本に限定することなく、全ての人が、何があっても安心して生きていける社会を目指す、それが全てのひとりひとりに対する利益になる、と考えます。きれいごとを言いたいのではなく、科学的観点から、です。


1 「ChatGPT」OpenAI 2025年2月12日参照 https://chatgpt.com/

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