両親の特徴的な言動を、ふと思い出したのですが…。本格的に、ぼくが病気に追い込まれる以前の話です。
ぼくの母は、幼少期ぼくを膝の上に乗せ、よく、次のような話をする人でした。
「もしお前が乗った飛行機が墜落し、お前が真っ黒な炭になって、多くの死体に埋もれても、私が必ずお前を見付け出してやるからね…」
「もしお前が乗った飛行機がハイジャックに遭い、お前が犯人に人質に取られても、私が必ず身代わりになって、お前を助けてやるからね…」
一見、「いい親御さんですね…」という話に見えるかもしれませんが、…えっと、見えないですかね、初めから見えないという体で話しても大丈夫ですか苦笑…?念のため、もし「いい親御さん」に見えたとしても、ぼく自身は、母はぼくが子どもの頃から、ぼくの気持ちになって、ぼくのことを守ってくれるような人ではなかったと、感じています。祖父に理不尽に暴力を振るわれるような時も、いつも見て見ぬ振り。祖父に賛同して攻撃することもありました。一度だけ、良心の呵責に耐えかねたのか、「ごめんね、お母さんおじいちゃんこわくて、どうしてもお前のこと、助けてあげられない…」と、謝ってくれたことがありましたが、当時、何故だかぼくには、母はぼくに謝っているのではなく、誰かに必死に言い訳しているように感じられました。
前述の、非日常的な場面想定で語られる、脈絡のない言い聞かせ話も、おそらく、誰か(自分自身)に対する言い訳ではなかったかのだろうか、と思います。因みに、当時のぼくは当然ノイローゼになりました。
また、
「お前は青色が好きだよね」
「お前は食べ物はお肉が好きだよね」
等と、気まぐれにぼくの話題で話し掛けてくれることがあったのですが、ぼくは心の中でずっと、「ううん、ぼくは黄色が好き。」、「ううん、ぼくはお好み焼きが好き。」と呟いていました。何度言っても「わざとか」と思うくらい外してくるので、途中から訂正もしなくなった記憶があります。
あとは、
「これ捨てていい?」と、ぼくの持ち物を指して聞いてはくれるのですが、「ダメ、それ大事だから捨てないで」と伝えるのに、その直後に捨ててしまう親だったなあ。
それに、ご飯を食べていて、いつも通りご飯のおかわりをするため、自分で席を立とうとすると、「自分でおかわりに行きなさい!」と叱られたりもしました。
悲しいことがあって大泣きしてても「うるさい!テレビが見えないじゃないか!」と怒鳴られるのに、第三者のいる人前だと、躓いただけで「大丈夫か…ッ!!」みたいな雰囲気で、大袈裟に駆け寄ってきたり。これは父でしたが。
ぼくの中学時代の同級生は、その後長期に渡りぼくが虐待にあっていたと聞いても、大方信じようとはしませんでしたが、ひとりだけ、こんなことを言ってくれた子がいました。
「私はあー、と思った。あなたの家でバイトしてたけど、昔からあなたのご両親は、現実のあなたを見ないで、空想の中のあなたとだけ会話してるように見えた。」
…的を射ている気がする。これまでの言動も、みんなぼくについてのものなのに、ぼく自身の気持ち・感情には一切フォーカスされてない気がする。
病気が治って親からも自由になり、本を読み漁ると、やっぱり両親も立派なアダルトチルドレンだったんだなと気付く。自身に価値が感じられないから、他人からの愛情や評価を得ることに命がけ(自身が無条件に認められているという感覚がないので、評価等を得て周囲から仲間にしてもらわないと、孤立してしまう。人の脳にとって孤立は死の恐怖。)で、子どもを愛することができない。でも、いい親であると思われること(評価)は大切だから、今も尚、自分が良く思われることに必死で、ぼくが周囲から誤解されたままであろうが、差別(攻撃)を受けようがお構いなし、っていうのも理解できる。…納得はできませんがね。
「親は悪くない。」わかります。じゃあ、ぼくの気持ちと人生はどうなるの…?ぼくもまた、立派なアダルトチルドレンなんだろうなあ…(そこから抜け出ようと、日々足掻いているわけなんですけどねー。)
程度の差はあれ、特に日本にはこういう親が沢山いて、苦しんでる子どもが沢山いる。犯人捜しはともかく、科学的な教育の知識と支援の普及は、絶対的に必要だと考えています。
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