実は、当初ぼくが伝えたいと思う情報の核は、数日で書き終えてしまった。上手に伝えられている自信はないけど、主に「知識」のカテゴリーにまとめてあること。そこから、教育は精神論ではなく科学であること、そしてそこから零れ落ちている人が、支援もなく馬鹿にされて悲しい思いをしている現実を伝えたかった。そうすれば、きっと社会は変わるし、一見自分には関係ないと思っている人も、安心して生きていけるようになる。そうすれば、どうしたらいいか見当も付かないまま病気に追い込まれ、そこから誰も信じられなくなるような現実に直面するとか、子どもがひきこもってから家庭まで壊れた、パートナーまで自〇してしまったとか、そういう悲しいことが起きなくなると思った。
そういうわけで、ちょっとしたことをきっかけに同じような話をしてきたが、まだ誰かの目に届くところまで辿り着いておらず、それでも書く内容に困るようになってきた…(それでも読んでくださった方いらっしゃいましたら、本当にありがとうございました!)。若い女性でもない一般人の日記なんて尚のこと求められていないと考えていたが、自分がどのように日々治療?に取り組み、どんな風に悩んでいるか、等も、これからは書いてみようか、と思い至った。理屈を理解しないことには始まらないが、理解したからといって、ぼく自身そううまくはいってないとか、そういうこと。これらは潜在意識(脳)に染み付いた問題なわけで、それこそが「教育(環境)がいかに重要か」というところなのだから、どうしたって時間は掛かるのだ。だから、ぼくも過去のネガティブな出来事や感情を未だ脳内リピートしていることはあるし、不安な気持ちに押し潰されそうになったり、怒りや憎しみで脳が焼けちぎれそうに感じたり等は、日常茶飯事。それだけ、環境によって繰り返し学習してきた内容に縛られずに生きるようにするのは、難しいこと。
そういえば先日、「HUNTER×HUNTER」というアニメを見ていて、まさにそれなと言いたくなる、教育に係る次のような言葉を聞いた。
「いびつで利己的な歪んだ愛、それだけに強く、重く、被対象者に絡みつく。その呪縛、並大抵の努力では解けない。」
ゲーム、「ペルソナ」なんかでも思ったけど、世間にはそれなりに「環境(教育)はその人の一生を左右する」といった科学的視点を示唆するものが存在してる。でも、ぼく自身おそらくこんな人生を送ってなかったら、そういうメッセージを科学として、社会問題として捉えることはできなかったろうと思う。それが重要視されず、自己責任や精神論がまるで美徳ともとれるような形で語られる社会では、人の持つ妄想共有能力がそれを難しくさせるから。
兎に角、それこそ「奮闘記」も書いていこうと考えています。同じように苦しんでおられる方が、「ひとりじゃないんだ」と感じてくだされば、幸いです。
「HUNTER×HUNTE」、残酷なシーンも多くて怖かったけど、勇気もらえるアニメだった。寄り道を楽しめば、欲しいもの以上の何かが見付かるかもよ?みたいなメッセージも、素敵だったなあ。世代的には「幽遊白書」なんだけど…
主な参考文献
・神志那弘志監督(2011)「HUNTER×HUNTE」マッドハウス prime video
コメント